☆ 母セツ子(82) 90歳まで 2854日 ☆
一人娘の大学入学式に上京したA子 ほぼ20年ぶり?に会えた
若い頃のおバカ時代を知っている旧友
A子 三人姉妹の長女 若い頃から2人の妹さんの世話をして 母上を支えてきた本当のシッカリ者
ワタシとほぼ同時期に父上を亡くされ
母上は10年以上前に他界なさった・・・
色々あったと言う
・・昔々じゃないあるところに vol.13・・
ママはね 死にたくない 死にたくないって言ってた
63歳だもん 若いもの 当然よね
パパを一人残す事が気がかりで 辛かったんだと思う
当時 私も娘が小さかったし ママを存分に看病して
あげられなかった事を後悔してる
パパの事は判っていたけれど ママが他界してから
より一層 パパを許せない気持ちになった
ママがずっと苦しんで泣いていたのが忘れられないのよ
パパは亭主関白、家の事何もできない人だったけれど
それだけじゃなく 一人にしておくとあの女のところに
行っちゃうと思っていたから単身赴任させないで
ついて行ったから 私が残って妹達の面倒見てたのよ
パパも一度はあの女と別れたの
娘の縁談に障るって親戚に諭されて漸く別れたのよ
でもね ママが亡くなったその日に あの女に電話してるのよ
人が死ぬって大変じゃない? 家族は泣いてるヒマなんかないじゃない?
そんな時にわざわざ 公衆電話まで行ってたのよ
決めなきゃいけないことが沢山あって大変な時よ
皆でどうする? パパはどこ?って なった時に
『タバコ屋の前の公衆電話で電話してましたよ』って 隣のおばさんに言われて まさかと思ったわよ 逆上したわよっ
家の電話じゃない 携帯でもない周囲に内緒にしたい電話をしてたのよ
案の定 パパとあの女 は撚りを戻したの
私も妹も嫁いだし 東京の家も処分したし もう仕方ないと思ったけれど 心理的にはやはり許せないわよね
ママの法事はお寺で済ませてパパのところには行かなくなった
パパも娘に遠慮があったのか どう考えていたのか
あの女と入籍はしなかったの……
でもね因果応報ってあるのよね
あの女 ママと同じ病気になったの
パパも当てが外れたわよね
10歳も年下のあの女に自分の死に水は取ってもらえると思ってたら先に倒れられちゃったのよ
アレを見舞ってやってくれないか って パパに言われた時は ビックリしちゃったわよ
『ママを苦しめた人の見舞いなんか行かないわよ』って言ってやった
80を超えた爺さんが 70歳過ぎの永年のカノジョ?を看病してるのよ
今考えると純愛ってヤツよね
許すも許さないもない 本当に好きだったんだろうね
でも他人ならいい話だけれど自分の親だとダメよね
パパがあの女と一緒にいられたのは5年も無いかな?
パパはその後本当に一人になって 癌で亡くなった
結局 パパは ママと愛人と二人の女を看取ったの
出会いも 死も 年齢の順にやってくるわけじゃない
パパの看病がもっと長かったら 優しく接することが出来たか判らないよねぇ
妹達もそれは 同じだと思う・・・・
自分も親になって 親の愛情に感謝も出来るけれど
介護ってお返しの気持ちだけで出来るわけじゃない
介護って愛も情も絶対必要だけれど 家族に対する感情って愛憎あるでしょう
憎が深い場合の家族の介護ってさ 愛があっても難しいと思うよ
・・・ ・・・・・・・・・・・・
A子 大人の階段上ったなぁ 追いつけない
そう、愛も情も 憎も背負いながら 階段を登っていくのが人生
降りて行く時に転んでしまう人が多いのが 現実だ
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