★★ 母セツ子(86) 100歳まで 4962日 ★★
今年は虫が多い
お墓に行く前にはスプレーする
さぁ ご先祖様 お迎えに来ましたよ
久しぶりに会う親戚の顔を忘れてしまった母セツ子
春兄ィの弟 冬兄ィだ
どちら様でしたかしら?
忘れられちゃったよー
苦笑いしてる 冬兄ィ
セツ子はここが墓地だと言う事はわかっている
だけど誰のお墓なのかはわからない これが認知症だ
冬兄ィから 父へのお供えをいただいて帰宅
おとうさーん
冬君から いただきましたよー
さぁ セツ子の実家のお墓参りだ
到着 大きな栗の木の下に車を停める
去年の夏はコロナで来れなかった
ゴールデンウィークにお墓まいりして以来
さぁ お線香をつけましょう
夏だよ!ビールを飲んでね🍻
セツ子のご先祖 両親 兄夫婦が眠る そして家を潰した甥 ワタシの従兄弟も……
暑くなりそうだ
鐘楼堂に大勢の名前が刻まれている
セツ子の実母の名前が刻まれている
祖母は当時既に未亡人だ
昭和45年1月 ……1970年
日本は高度成長に伴い 日本万国博覧会が大阪で開催され、え銀座で歩行者天国が始まり、三島由紀夫の割腹自決、
ファミリーヒストリー………
セツ子は感極まった様子
まるで、嘆きの壁みたいだ とツレが笑う
くくくっ
さぁ 写真を撮りましょう
嘆いていたのがウソの様なポージング
栄枯盛衰 祖母が最も愛した従兄弟
昭和45年は16歳だった
家族総出で大阪万博に繰り出して 我が家もEXPO70 の沢山のお土産を貰った
自分の家は 寄付をする経済力があると充分認識出来る年頃だろう
従兄弟は大学卒業後、就職という経験を経ずして稼業を継ぎ、家を潰した…
人間の努力を図る方法はない
目盛も無いので多寡も測れない
かくして、結果は残された
江戸時代から続いた屋号 田畑 屋敷 全てが無くなり
160年前の年号刻む墓石が残された
あの人はお坊ちゃんだから と言う言葉をきくと
少し意地悪い気持ちになってしまうワタシだ
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